悠悠閑適

小学校教員のひとり言。学校のことや子育てのこと、趣味のランニングのこと、などなど。日記がわりにいろいろ呟きます。

通知票に思う・・・

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現在、担任から外れて2年目。通知票を書かなくなって2年目。(受け持っている教科についてちょっと書くこともあるけど)

学年主任という立場上、2クラス分の通知票を読むことになっている。これってなかなか貴重な経験。教務主任をやったときは全学年分読んだけど、そのときはすごく小さい学校だったので、全学年分読んでも100人にもならなかった。今回も自分の学年だけなのでそれほど多くはないけれど、他の人が書いた所見などを読むのはいい勉強になる。

2クラス分読むのだけれど、担任によって文章がずいぶん違う。当たり前だけど。

一人は新卒2年目の方。まあ、何というかよくある所見文。おそらく誰もがこう書いたことがあるだろうなあという感じ。つまり、「~することができました。」のオンパレードな所見が多い。悪くはないけど、やはり、ところどころ、「え、そんなのできて当たり前じゃん。」とか「それができるようになることが目的じゃないでしょ。」という部分もある。

そんなところは少し手直ししようとするんだけれど・・・、自分でもなかなか言葉が出ないんだな、これが!ちょっと直すのにもずいぶん時間がかかったりして。

でも、まだ若い先生なので、少しでも今後の役に立つことがあればと思ってがんばります。

もう一人はベテランの方。何でしょう、所見を直すのにさらに時間がかかります。一人目の方はある意味「型にはまった書き方」なので、「ここを直せばよくなるな」というのがつかみやすかった。

けれども、こちらの方は何というか、ひらめきというか直感的というか・・・。言いたいことは分かるけど、文章として考えるとなんか変、というような書き方。勢いに任せた文章とでも言うのでしょうか。

これは、直そうとすると文章の構造そのものとか言葉一つ一つから吟味していかなくてはいけないので、かなり時間がかかりそう。(まだ全部は読んでません)

しかも、こういう人に限って提出が遅いなんていうことは「あるある」。夜8時頃に出したりね。

こういうことがあると、やっぱり管理職は大変なんだろうなあと思う。何せ全員分何百人文も読むんだから。しかも、みんながみんが分かりやすい文章とは限らないし。しかも、子どもの様子がよく分かっているわけでもないし。これじゃあ、夜遅くもなるわけだよなあ。休日出勤も当たり前って感じ。

話がそれたけど、所見を読んでいて、もっと分かりやすくしようと思ってがんばって直してみて、ふと思ったのは、「なんだか、平均化されたようなつまらない文章になってるんじゃない?」ということ。「なんか文章は分かりやすいとは言えないけど、担任の思いが感じられる熱い文章の方がいいなじゃない?」などと考えたり。うーん、どうなんだろう。自分も若い頃は、付箋を付けられたところを読んで、「そういうニュアンスじゃないんだけどなあ~。」なんて思ったことがよくあったし。

でも、自分が直さないとどうせ上の人に直されるし、「ちゃんと読んだ?」なんて言われるから直すんだけどさ。あー、所見書きてえなあ~。(な~んちゃって)