悠悠閑適

小学校教員のひとり言。学校のことや子育てのこと、趣味のランニングのこと、などなど。日記がわりにいろいろ呟きます。

ツールかぁ・・・

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今年度まで数年間、本校の研修では「学び合い」(←『 』ではなく、本校独自の学び合い)に取り組んできました。これは、市全体で「学びの共同体」に取り組んでいたからです。

とりあえず、4人グループ、座席は男女交互の市松模様、つなぐ働きかけ、ジャンプの課題・・・、などを意識して授業を行うようになりました。

自分としては『』を意識していましたので、「別に4人グループじゃなくても・・・」なんて思うことがありましたが、「先生がわかりやすく教える」「子どもたちはお行儀よく学ぶ」というものよりは、よりましだと思っていました。子どもたち同士が関わり合いながら課題に向かう姿を見れば、学び合うことの大切さを感じてくれる先生が増えるかなあ、なんて考えていました。

ところが、来年度からは、市で「学びの共同体」に取り組むということがなくなるようです。どうやら、「深い学び」を意識して、「教科の本質」に迫ることを重視するという方向性のようです。

「学び合い」は学ぶための「形式」または「ツール」であり、「やり方」にこだわるのではなく、もっと教科ならではのことを研究していかなくてはならないということになったようです。「要するに、点数が上がるようにってことなんじゃないの?」と思えないこともないですが・・・。

個人的には、子ども同士の学び合うことがもはや当たり前になってきたので、より深めていこうという受け止め方でいきたいなと思います。「形式」にこだわらないというのは、いいことだと思います。ぜひ、多様な形を認めてほしいものだと思います。

ただ、本校の研修主任もはっきりと「学び合いはツールの一つでしたので、そういうところではなく・・・。」というような話をしていました。

確かに、ツール・方法であるとは思いますが、それと同時に、「目標」であってもいいのかなとおもいます。学び合える子どもを育てること、他と学び合える力を身に付けることそのものを目指してもいいんじゃないの、と思います。その力を身につけるために教科がある、ということです。

うーん、この辺が他の先生方と違うのでしょうか。「教科の学習をするために学び合いという方法を使う」「教科の学習を通して、学び合う力をつける」どっちなんでしょう?あ、どっちもかな。それとも、どっちも違うのかな?バランスの問題?

まあ、研修のテーマが変わったって、そんなに気にはしないんですけどね。