悠悠閑適

小学校教員のひとり言。学校のことや子育てのこと、趣味のランニングのこと、などなど。日記がわりにいろいろ呟きます。

憂鬱な時期

 自分が勤務する市では、この時期になると小学生鼓笛パレードなる催しが行われる。なかなかに歴史であり、もう何十年も続いているというものだ。もちろん、市内の小学校はほぼ強制的に参加である。そのため、この時期になると各学校では休み時間や放課後の時間に、鼓笛の練習が行われる。

 自分が勤務する学校も例に漏れず、ほぼ毎日のように鼓笛の練習がある。ほとんどは、「自主練習」と称して、5年生と6年生が昼休みに強制的に練習。(「自主」のはずなのだが、練習しないと怒られる。)また、ある時は放課後に残って練習する。勤務校の鼓笛隊は5年生と6年生で編成されているので、5・6年生全員が強制参加である。もちろん、ほとんどの児童は、いやいやの参加である。あー、今日も休み時間なしかー、という具合に。

 自分も高学年の担任なので、この練習に指導者の一人として参加するわけである。パレードに向けての練習というのは、楽器の演奏だけではない。見た目の綺麗さも大切である。そのため、全員の足並みが揃っているか、胸を張って堂々と行進しているか、楽器は真っ直ぐに上げているか、カーブや角を曲がるときに列がずれないか・・・といったところも指導のポイントである。自分のように楽器の経験がない者の役目は、もっぱら足並みや姿勢を見ることになる。(ここで、あの「左!左!左!」という掛け声がかかるわけである)

 自分はどうもそのような時間が苦手である。「列が揃ってない。」「もう一度よく指揮を見て!」「左足から!」・・・。子ども達にとっては貴重な休み時間を潰してまで、足を上げる練習とか列を揃えたまま左にカーブする練習なんか必要なのだろうか?そもそも、鼓笛パレードって必要なのだろうか?小学生の音楽でトランペットやらトロンボーンやらを演奏できるようになる必要はあるのか?パレードの目的を見ると、交通安全意識の高揚を図る・・・みたいな文言が書かれているが、交通安全と鼓笛パレードって関係あるのか?・・・というような疑問が湧いてくるのである。

 もちろん、鼓笛にだってやる意味はあるだろう。それを通して身につくものもあるはずである。指導する先生方は、鼓笛パレードで子ども達に恥をかかせないため、見に来てくれる保護者や地域の方にがっかりされないため、子ども達に達成感を味わわせるために、忙しい中、自らの休み時間を返上して指導にあたっている。それにも関わらず、何度言っても足が上がらなかったら、そりゃあ「もっと足を上げなさい!」と大きな声を出したくなる気持ちも分かる。

 この状況は、指導する方にとっても、される方にとっても、マイナスなんではなかろうか。子どもたち自らが、もっと上手く、美しくパレードできるようになりたい!という思いを持つことが必要なのだろう。そうでなければ、いくら指導者が熱意を持って指導にあたっても、単なる押し付けである。

 毎年毎年、同じ時期に同じようにパレードの練習をしているはずなのに、なぜ毎年毎年同じように「足を上げる練習」やら「列を揃える練習」とやらを、大きな声で指導しなくてはならないんだろう。毎年やり続けて、もう何十年も経つのだから、ある意味、学校の文化として定着していてもおかしくないのではないだろうか。歩くときは足を上げるんだよね〜、左足からだよね〜ってな具合に。この何十年の積み重ねはないのかよ、と思う。

 もちろん、それは、指導する者の責任であろう。「足を上げろ!」という前に、パレードとはどういうものか、地域の人はどんな思いで見にくるのか、あなたたちはどんな気持ちで参加するのか・・・、そのようなことを丁寧に伝えなくてはいけないのだろう。その時だけ言って聞かせるのではなく、事あるごとに目的を伝えること。そいうことの積み重ねが必要なのかなと思う。

 まあ、そんなことを考えながらも、もう目前に迫ったパレードに向けて今日も練習が行われる。自分も必死に声をかけ続ける。「左!左!左!左!」と・・・。