悠悠閑適

小学校教員のひとり言。学校のことや子育てのこと、趣味のランニングのこと、などなど。日記がわりにいろいろ呟きます。

軸がない・・・

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この歳になると(アラフィフです・・・)、「そろそろ、どう?」と声をかけられることが時々あります。「そろそろ管理職試験を受けてみないか?」ということです。

過去には一応、管理職試験のための学習会のようなものに参加したことがあります。その時に、「こういう場合は、この法律の何条に・・・」とか「何年に出された通知に・・・」とか、ちょっと自分には覚えられそうもないなと思ったものです。

それに何よりも、自分が管理職になってしまったら、絶対にやっていけない自信があります。とにかく優柔不断なのです。自分で判断することが、驚くほどできません。

例えば、今、生徒指導を担当していますが、ちょっとした問題があった時、どうしたら良いかすぐに判断することができません。知識がないということももちろんありますが、まずどう動くのが良いか、迷ってしまいます。

もっと小さいことでも同じです。例えば体育主任の時、運動会の全体練習の時間に小雨がぱらつきました。これだけでも迷ってしまいます。校庭で予定通り実施すべきか(でも雨だし風邪引いたら困るよな・・・)、体育館で実施すべきか(体育館での練習では意味がないのでは?)、延期にすべきか(で、あしたも雨だったらどうする?)という感じです。

こういう優柔不断なところは普段からいろんなところに影響します。毎日の授業中にも、(ん?どうするかな?)ということが多々あります。この一瞬の迷いが結構大きいのです。どうしても余計な言葉が多くなったり、リズムやテンポが悪くなったり、何よりも鋭い子どもに見抜かれます。

自分の知っている人たちを見ると、みんな自分の考えをすぱっと出しています。中身が良いかどうかは別として、きちんとした根拠をもとに決断しています。自分と同世代の人と一緒に勤務したことが結構ありますが、みんな、自信満々に自分の考えを主張していました。自分には到底できそうもありません。

これはきっと、自分に軸となる理論とか信念とか理想とか、そういうものがないからではないかと思っています。判断の基準となるもの、拠り所となるものがないため、迷ってしまうのです。

以前、ある上司に「あなたは根無し草のようだね」と言われたことがあります。全くその通りです。

自分の軸となるものを身につけなくては、という思いが年を追うごとに強くなってきました。いつまでも「根無し草」ではいけないとおもいます。でも、まだまだ見つかりません。

管理職はまだまだ遠そうです。